Jean-Hugues OPPEL, Ambernave, Rivages, 1995

(ジャン-ユグ・オペル『アンベルナーヴ』)


いやあ結構時間がかかった。フランス語っていろいろありますね。実は日本語も外国人が読んだら簡単な文章も難しい文章もあるのかもしれませんが。港湾労働者の話なのでそういう人たちが喋る言葉遣いを心がけたのだろう、かなり俗語が多く、普通の辞書には載ってない表現が多かった。これは邦訳はないようだが、これを訳すのは大変だ。でも物語は追いやすいのでその点は助かった。

で、物語だ。僕はミステリー以外の小説を読んだことの方が多いのでまあそういうもんかなとは思ってしまうが、ミステリー好きは「なんだこれ?」とか思ってしまうのではないだろうか。殺人はある。それにまつわる謎のようなものもなくはない。しかし主眼は片足を失った元港湾労働者と彼が出会った知的障害の大男(と彼の犬)との生活だ。

それでそもそもなんでこれを読んだかというと、それはこの作品がフランス推理小説大賞を受賞したからだ。こういう賞の受賞の大賞になるんだから、まあそれは推理小説だろうと思うのだが、推理小説といっても結構いろんなものがあるらしい。フランス語版でも日本語版でも、wikiでは推理小説(roman policier)の項目にはいろんなサブジャンルが示されている。ちなみに今回読んだ小説はリヴァージュ/ノワール(Rivages/Noir)というシリーズの作品だ。つまりRoman noirというジャンルに一応位置づけられるらしい。ロマン・ノワール。これはハードボイルドのフランス語訳だが、ハードボイルドもよくわからないので、一応例によってフランス語版wikiのロマン・ノワールの項目を調べてみると、「推理小説では犯罪がまずあり、読者はその犯人を物語が進むにしたがって知るようになる。ロマン・ノワールでは、まず犯人が犯罪に至りうるような状況の提示から始まる。場合によっては犯罪がおこらないこともある。」だそうだ。そういう意味ではこの作品はロマン・ノワールであるとはいえるかもしれない。ううむ、いろいろあるものだ。

それで今度は別の方面からアプローチしていきたいと思う。この『アンベルナーヴ』はリヴァージュ(Rivages)という出版社のリヴァージュ/ノワールというシリーズから出版されていると書いたが、このシリーズについて。日本でも多かれ少なかれそうだと思うが、出版社とかシリーズで特色があって、買う方もそういうのをそういうのを想像しながら本屋とかで選んでいるということは往々にしてあると思う。ミステリーではないが、ミニュイ社から出ている小説はみんな何となくミニマリスト的な雰囲気を醸し出していると思う。というわけでちょっとだけこのリヴァージュ/ノワールというシリーズについて調べる。

調べる前に明らかなのは、本の装丁が特徴的だということだ。文庫サイズなのだが、ほかのものと違ってなんというか手触りが…ざらざらしている。手垢とかつきそうになくていいかなとか思っていたけど、読んでるうちにどんどん表紙にプリントされている写真が色あせるというか薄くなっていって、後ろに書いてある紹介文とかも読みづらくなってしまった。まあそんなことはどうでもいいのだが、以前から参考にしている便利なサイト、A l'ombre du Polar(推理小説の陰で)にこのシリーズについての説明がある。こちらには本の表紙の写真もあるので、見てみるといいかもしれない。ここの説明によると、出版社であるリヴァージュ社はかなり新しい出版社で、1979年にできたらしい。しかしいまのリヴァージュ/ノワールというシリーズのかたちが出来上がったのはどうやらフランソワ・ゲリフという人がこのシリーズの担当をするようになってかららしい。彼はもともと文学の研究者だったのだが、なんかつまんなくなって、本屋を経営するようになる。その間に映画俳優についてのモノグラフィーを出版したらそれが結構売れて、どうやらそれがきっかけで出版社に何か企画を立ち上げてくれるように頼まれる。そこで彼は推理小説のシリーズを立ち上げた。それが1978年で、その後いろいろ出版社を渡り歩いて、渡った先でも推理小説関係のシリーズにかかわったりして、1986年にリヴァージュ社にたどり着く。要は推理小説のシリーズのスペシャリストということだ。

ゲリフはこのリヴァージュ/ノワールのシリーズを展開するにあたって三つの原則を掲げた。

  • 翻訳作品を重視する。とりわけ特定の翻訳者に特定の作家の作品を翻訳させる。
  • ジャンルの幅を広げる。
  • 同じ作家の多くの作品を出版する。

最初と最後の原則からは翻訳者、作家を自前のシリーズで育てようという意志が見える。そして二つ目の原則をあわせて、作家を育てながら作家たちに何かを強制するのではなく自由に書かせてジャンル自体を発展させていこうと考えているのだろう、ということが読み取れると思う。ただこのシリーズは後発なので、既に名のあるフランスの作家を抱えるということは難しかったという理由もあるだろう。そういう意味では『アンベルナーヴ』のような作品も許容するような度量もあるということなのだろうか。まあこれが本当に例外的な作品なのかはわからないけど。現在このシリーズは500作品ぐらいあるようだ。

シリーズの特徴を前もって把握しておけば聞いたことない名前でもある程度雰囲気がわかるかもしれないな。