Gaston LEROUX, Le mystère de la chambre jaune, Livre de poche, 1960(ガストン・ルルー黄色い部屋の謎』)
Jean-Patrick MANCHETTE, Ô dingos, ô châteaux !, Gallimard, coll. Série noire, 1972(ジャン-パトリック・マンシェット『狼が来た、城へ逃げろ』)
Michel QUINT, La dernière récré, Fleuve noir, 1984(ミシェル・カン『最後の休み時間』)


ガストン・ルルーについては日本でも知れ渡っているだろう。僕も名前だけは知っていた。まあ古典も多いし邦訳も多いので当然といえば当然か。著作権が切れているので原文であればネットでも手に入るが、やはり本で欲しい。目も疲れるし。というわけで略歴。1868年5月6日生まれ1927年4月5日に亡くなる。文学者でいうとクローデルと同い年。歴史上の人物ですな。生まれはパリなのだが、育ったのはノルマンディ。また北部だ。もしかしたらフランス北部ってのはイギリスとかの影響でミステリーとかが盛んなのだろうか。まあそれはともかく、大学に入るために1886年にパリに移り住み、法学を学んだ。そのまま卒業後弁護士になるのが1890年。しかしそれほど長く弁護士活動をしているわけではなく、1893年には活動をやめている。で記念にと思ったのかなんか知らんが『エコー・ドゥ・パリ』という新聞に自分が扱った事件について、とりわけオギュスト・ヴァイヤンというアナーキストがやらかした議会襲撃の事件などについて寄稿したりした。それがモーリス・ビュノ-ヴァリヤという『ル・マタン』という新聞の編集長の目に留まり、ルルーは同新聞の司法担当者になる。こうして司法担当者になることによってネタの供給源を確保し、また新聞社に勤めることによって発表媒体をも確保した。事後的に見れば、彼が作家活動に入るのは20世紀に入ってからだが、前世紀のうちにその足場固めをしていたことになる。今回買った『黄色い部屋の謎』が発表されたのは1907年だが、後にシュルレアリストたちに影響を与えたらしい。ほんまかいな。まあそれはともかくこの作品はいわゆる密室殺人ものらしいがフランスではそれ以前にこういった類のものってあったのだろうか。また例によって推理小説の陰での中の推理小説の歴史の項目を見ると、とりあえずジャンルとしてのスタート地点を『モルグ街の殺人事件』とした上でエミル・ガボリオ(Emile Gaboriau)という人がポーの影響を受けて犯罪のもの小説を書いたらしい。日本語訳があるかどうかを探してみたら、『ルコック探偵』というのが見つかった。間違っているかもしれないが、Monsieur Lecoq(直訳すると『ルコック氏』)がもとの本だろう。ちなみにこれが原文。結構長そう。これは1868年、ルルーが生まれた翌年に書かれたものだが、いくつか文章を読む限り一番有名っぽいのは、L'affaire Lerouge(『ルルージュ事件』)のようだ。この作品は評判が良かったらしく直ちに英訳された。コナン・ドイルとかにも影響を与えたらしい。実際、フランスのアマゾンで調べるとフランス語の本よりも英語の本の方が多く引っかかる。英語圏でより受け入れられたのだろう。この本や彼のほかの作品がいわゆる密室犯罪を扱ったものかどうかはわからないが、ルルーがこういうの読んでないはずがないから、いろいろ参考になったろう。


つぎ、マンシェットだが、これはもう読んだ。一息ついたら読んだ感想などを書いてみようと思う。というわけで『狼が来た、城へ逃げろ』の内容はおいておくとして、この辺りのいわゆるネオ・ポラールの作品は結構日本語に翻訳されているのだが、絶版になっているものが多いらしい。ざっと見た感じだと、だいたい70年代後半にどばっと翻訳されてそれっきりといった感じだ。書評のサイトとかを見ると今復刊するにはちょっとヤバい表現があるらしい。フランス語を読んでみてもそのような感じはする。A.D.Gもそういう感じなのだろうか。それはともかくマンシェットについてちょっと調べた。どこの紹介を見ても、まず書いてあるのが「ネオ・ポラールの父」という表現だ。推理小説の陰でによると1968年のいわゆる五月革命以降、より社会を反映した推理小説を目指す動きがあって、その運動の中で発表された作品をそう呼ぶらしい。嚆矢となるのはフランシス・リック(Francis Ryck)、とあるが、エポックメイキングだったのは70年代初頭に発表されたマンシェットの『ンギュストロ事件』と『病める巨犬たちの夜』らしい。この2作品はともにガリマールのノワール・シリーズから出たものであるが、70年代後半に入るとこういったネオ・ポラールを扱った他の出版者のシリーズがたくさん出てくる。こういった出版社からエルヴェ・ジャウアン(Hervé Jaouen)、ユグ・パガン(Hugues Pagan)、フレデリック・ファジャルディ、ティエリ・ジョンケ、マルク・ヴィヤール(Marc Villard)などが登場する。ガリマール社がそれを迎え撃つかたちになるが、こっちからはディディエ・デナンクス、ジャン-ユグ・オペル、トニーノ・ベナキスタなどが出てくる。まあいってみればマンシェットはこれらの作家の親玉といった感じなのだろうか。で、このマンシェットは1942年12月19日生まれ、1995年6月3日に亡くなる。マルセイユ生まれ。何となく南はノワールで北は本格系なのだろうか。根拠はないが。意外と作品は多くない。ミステリー関係でいえば(もちろん何をもってミステリーというかによって変わるが)、二桁いくかいかないかだ。これは短命だったということよりも、1982年に断筆してしまったからだ。前述の『ンギュスト事件』をデビュー作とするなら、それが発表されたのが1971年だから、ミステリー作家としての実働は10年ぐらいしかない。wikiによるとアゴラフォビを患ったとある。広場が怖いってことだろうか。そんなわけで文字通り引きこもってしまい、1995年に肺がんで亡くなる。もう亡くなって10年以上もたつが、さすが親玉だけあって、彼のついての評論とかが出たり、いまだに影響があるみたいだ。ところでこのサイトではマンシェットのいろいろな面を見ることができて面白い。特に面白かったのは評論家というか理論家の顔もあったということだ。どうやらミステリーというかノワールを書いているということにかなり自覚的だったらしく、「ノワールとは何か」などという問いをつねに問うてきたらしい。特に「謎解きの小説(romans à énigme)」といかに差異化するかということは重要だったようだ。このサイト内の「ロマン・ノワールの美学」と題されたところにある文章を引用する。これはミシェル・ルブランらが著わした『犯罪小説』(Le roman criminel)の序文として書かれた文章の一説だ。

謎解きの小説の文体が混淆的、用途の広い、その対象にほとんど依存することのない文体であるのに対し(…)、偉大なロマン・ノワールはある特殊な文体をもっている。それは外在的な文体であり、非道徳的、反心理学的、そして何よりも記述的、映画的、行動主義的な文体である(…)。このようなロマン・ノワールの特異な文体に、私は反動的な作家の振る舞いを見るのである。


なんかポンジュみたいなことをいってるな。まあ大雑把にいってしまうと話の辻褄よりも文体重視といった感じだろうか。実際『狼が来た、城へ逃げろ』を読んだときはそんな感じはした。たとえば同じサイトの「ロマン・ノワールの定義」というところでは次のような引用がある。

ポラールを暴力的なロマン・ノワールとするアメリカ的な厳密な定義にしたがうなら、その定義の中にフランスの推理小説、サスペンス小説、さらにはスリラー小説をそこに含めてはならないだろう。なぜならそれはポラールに影響を受けてはいるものの、シナリオの構造を中心にすえており、それゆえに時代の認識に至ることができず、その絵画的な特殊性しか捉えることができないからだ。


ちょっと面倒くさいのだが、マンシェットはポラール(polar)という言葉と推理小説(roman policier)という言葉を区別して使っている。それも引用にあるのでちょっと紹介。

私はポラール推理小説とは全く関係がないと宣言する。ポラールの意味するところは暴力的なロマン・ノワールである。イギリス流の謎解きを主とする推理小説が邪悪な人間の本性の中に悪を見出すのに対して、ポラールは移ろう社会機構の中に悪を見出す。ポラールは不均衡で不安定、そして崩壊し過ぎ去ってゆくことになる世界から生まれる。ポラールとは危機の文学なのだ。


つまり、きちっとした物語があるとき、その物語を成立させている均衡とか安定ってなんだよ、という突っ込みを入れるわけだ。そんな世界に俺たちゃ生きてないだろ、と。まあそれはそれでリアルな感じはするが、その特殊な記述的な文体を可能にしている場はなんだよ、という気にもなってくる。まあそうなるとベケットとかになっちゃうわけだが。まあとにかく、僕の興味としてはもしかしたら彼の作品よりも評論の方が重要かも。


最後。ミシェル・カン。今度は北方の人だ。1949年生まれ。パ-ドゥ-カレの出身。学生時代は演劇の研究をしており、卒業後も戯曲を書く仕事をしていた。ラジオ局でラジオドラマのシナリオも書いたりしていた。で、1989年に『階上のビリヤード』(Billard à l'étage)でフランス推理小説大賞を受賞。しかし彼がミステリー作家として名を売ったのは2000年に発表された『恐るべき庭園』(Effroyables jardins)においてであるらしい。映画化されたようだ。そして現在、彼はルベというこれまた北部にあるボードレール高校で演劇を教えている。で、今回買った『最後の休み時間』に関してだが、なんかあんまりネット上での言及がない。出版社のサイトにいってみても絶版になっているのかデータがない。ううむ。なんか読むのも後回しになってしまいそう…


とりあえずネット中古文庫屋で買った分はこれで終わり。