Jean-Patrick MANCHETTE, Ô dingos, ô châteaux !, Gallimard, coll. Folio/policier, 2002(ジャン-パトリック・マンシェット『狼が来た、城へ逃げろ』)


ちょっと前の話だが読了。1973年のフランス推理小説大賞受賞作。これで受賞作を3冊読んだことになる。こちらによればマンシェットはウェルベックのおじ筋にあたり、エシュノーズの父親みたいなものらしい。まあそれはともかく、ジャン-ユグ・オペルの『アンベルナーヴ』(オリジナルは:Ambernave)を読んだあとだったので、なんというか、読みやすっ。そして単純過去が懐かしい。フランス語には話し言葉にはほとんど出てこない時制である単純過去というものがあるのだが、オペルの作品ではそれが全く出てこなかった。そういうこともあってか格調高い感じすらしてしまった。んなこたあない。比べるのもなんだが、『アンベルナーヴ』では語りそのものが場末の港町の終わってる感じの雰囲気を示す背景になるように主人公たちの言葉に寄り添ったかたちの文体になっているのに対し、こちらはかなり突き放している。これは勘なのだが、マンシェットはノワールとサスペンスの区別を意識していて、語り手が危機に陥る、あるいは危機に陥った主人公に対する読者の距離を語りによって縮めてしまうということをさけたかったのではないだろうか。しかしそのことによって何か記述の場が特権的というか安全な位置に追いやられてしまっているように感じられる。以前引用した文章にもあるように、マンシェットにとって重要なのは記述である。言い換えれば記述の場がなんとしても護られていなければならない。こちらなどではこの作品の狂いっぷりが強調されているが、僕はあまりそんな狂ってる感じはしなかった。あらすじをいうと、精神病院で長らく暮らしていた女性が、障害者ばかりを雇っている大金持ちの人に買われて、その人の甥の子守りをするようになる。するといきなり誘拐されて…。という話なのだが、まあ確かに殺しまくり、死にまくりなのだが、それでも「記述する」という正常さは確保されている。あと気になったのは、この作品ではほとんど性に関する記述がないということだ。まあそういうことをかかずらっていられないほど切迫しているので、ただ単にそういう理由かもしれないが、『森の死神』の身体障害者である主人公の性も、『アンベルナーヴ』のじじいの性も何らかのかたちで描かれていた。何かちょっと奇妙に感じた。彼のほかの作品ではそうではないようだが。

まあいずれにしてもノワールの親玉ですからまだ何冊か読まなければいけないでしょう。さしあたり小説というよりも彼のミステリー論というかノワール論があるようなので、それを読みたい。とりあえず注文した。