ゲーム脳の話

ブログをみたりしてるとゲーム脳という単語をしばしば見つける。海外に住んでいることもあってゲーム脳とは何かということは全然知らない。ということで自分なりにゲーム脳とは何かを想像しながら何か書いてみる。これが実際にいわれているゲーム脳と違ってたらすみません。あと僕がやるゲームはRPGのみ、しかも古いやつばっかりということなので、最新のゲームとかは全然知りません。以下ゲームというのはそういう意味で。


すごくおおざっぱにいうとゲームにはストーリーの部分とシステムの部分がある。なんか魔王がやってきて世界が危機に瀕しているからそれを救うとかいうのがストーリーの部分で、誰を仲間にできて、どういう職業につけて、装備はどうなっているか、どういう戦闘方法か、っていうのがシステムにあたる部分かな。もちろん両者がはっきり区別されることはない、仲間にできる人がストーリーに深く関係していることもあるでしょう。


たとえばドラクエ2からドラクエ3への変化というのは、後者のシステムの部分の充実ということなんじゃないでしょうか。ドラクエ2では仲間にできる人というのがストーリーに完全に依存しているのに対し、3では仲間はいてもいなくてもいい。つまりシステム上そういうことが可能なだけで、ストーリーとは全く関係ない。そういうストーリーと関係ないものとして職業というものも発明された。後にダーマの神殿なんかがストーリーにかかわってくることにもなるが、それはシステムのストーリーに対する浸食だと考えることができると思う。

ストーリーというのは、少なくともゲームにおいては、目的合理性にしたがって進んでいると思う。もちろんゲーム開始時に主人公がどういう状況にあるかわかってない場合もあるけど、結果的には「こうだからこうだった」というような合理性によって説明がつくと思う。それに対して、システムの部分というのは、ストーリーの観点からしたら無駄以外の何ものでもない。まして井沢のように終わったドラクエのレヴェルをあげるのなんか全く意味がない。


だけどシステムという観点からすればそれは無意味というわけではないと思う。ストーリーにおいて目的はある終着点に到達することだが、システムにおいて目的があるとすれば、それは網羅であると思う。レヴェルが99まであれば、レヴェル99まであげてみる、職業がこれだけあればすべての職業を経験してみる、どれだけ低レヴェルでクリアできるか試してみる。もはやゴールにたどり着くことが問題ではなくて、いかにゴールにたどりつくか、この「いかに」が重要であって、場合によってはゴールにたどり着く必要はない。


こういう思考をする脳をゲーム脳という。ストーリーをたどるという目的合理性に支配された脳に対して、システムを網羅しながら検証していくという思考ということだろうか。こういう思考の対立が最もはっきりと現れるのがRPGなのだと思う。で、これは全くの印象というかあんまりやってもいないので想像なのだが、この思考の対立はプレステと任天堂系のコンソールの対立と重ね合わされるのかなと思う。ストーリー的な思考でもし感情移入が問題となるならば、それはグラフィックなどの質の向上が求められるが、ゲーム脳においてはそれは必要ない。作り手からしてみれば、このゲーム脳という思考のあり方は少ない容量で面白くするためのある種の苦肉の策かもしれない。あと、これは容量とは関係ないかもしれないが、携帯ゲームの場合はストーリー的には短くて、システム面にかなり力を注いでいるということが多いような気がする。キャラバンハートとか二回のエンディングをみたあとの方が長くプレイしている。


そして、これまた妄想なのだが、この二つの思考の対立は、ジャンプマンガでいうところの、ワンピースとハンター×ハンターの対立と重なり合うと思う。ワンピにおいては世界一の海賊になるとか、財宝を見つけるとかいったはっきりとした目標があり、そこに向かって比較的寄り道なく進んでいるのに対し、ハンタの場合は父親を捜すという目的が一応あるにしても、あんまりそれに向かって突き進んでいるという感じがしない。それよりも念というものがどのように成り立っているか、それをどのように利用できるかということを主人公自身が知るということの方が重要なんだと思う。非常にゲーム脳的だ。だからGIとかやるんだと思う。思えばジャンプマンガというのは戦闘マンガにここでいうゲーム脳的な要素を混ぜ合わせてきたのだと思う。


というわけで私のゲーム脳の話でした。