恐怖と笑い

彼岸島』14巻まで読んだ。感受性豊かというか簡単にいうと恐がりなので、最初の方はちょっと読むのがつらかった。つらかったのはたぶん怖かったからだと思う。だけど明がなんか決意して仇を取るために強くなりたいと言い出した頃あたりからあんまり怖くなくなってきた。これはおそらく偶然じゃないだろうと思う。怖いってのは何かと考えるに、おそらく「よくわからないけど危険」ということなのではないだろうか。おそらく危険ということはあまり本質的ではなく、やはり「よくわからない」ということが問題なのだと思う。自分を取り囲む世界が、自分の認識に及ぶ範囲を超えている状況をおそらく「よくわからない」というのであり、そしてその状況に対して自覚的であるときおそらく怖いのではないだろうか。危険である、ということはこのような状況に自覚的であるための触媒であると考えられる。しかし「恐怖」が「謎」と結びついているとき、謎が明らかになるにつれてこの「よくわからなさ」が徐々に薄れていくだろう。というか謎とはこの「よくわからなさ」そのものなのかもしれない。しかしそれだけでは十分ではない。というのは、突き詰めて考えれば自分を取り囲む世界が自分の認識を超えているという状態はいわば普通の状態であり、おそらくそうでない人はいないからだ。そうすると問題なのは世界と自分の認識がどうであるかということよりも、そういう状況を自分がどう判断して、どう行動するかということになる。明はそのとき「復讐する」と決意するわけだが、その瞬間視界は開ける。もう迷う必要はない。世界がいかに自分の能力を凌駕していようが、もはや問題ではない。もう目指すところは決まっているからだ。


ところで、この世界と自分の認識とのギャップというのは笑いの要素でもあるまいかと思う。おそらく違うのは恐怖を感じるとき上に書いたようにそのギャップに対して自覚的でなければならないけど、笑いを喚起するためにはその自覚はむしろ不要であるということじゃないだろうか。伊藤潤二の『うずまき』とかがちょっと笑えるのはこの点にあるのではないか。あんまり怖いんでホラー系のマンガあんまり読んでませんが。


こういうことを考えるといつも思い出すのが『コージ苑』の中にあった、「誰もいない夜道を一人で歩いていて、幽霊が出てくると笑えるけど、田川陽介が出てくると怖い」っていうのを思い出す。まあ上で書いたことを微妙に違う気がするのだが、でも笑いと恐怖っていのはかなり近い感情なのではないかという気がする。