Paul HALTER, Le brouillard rouge, Champs-Élysées, coll. Le masque, 1988(ポール・アルテ赤い霧』)


前回と同じ文庫のサイトで買ったもの。基本的に作家で検索してその中で一番安いものを買っているので、作品の選択についてさして理由はない。まだ全くの初心者なので、いろいろ吟味して選ぶよりとにかく量だと思う。お金が続く限りこんな感じで集めていこう。集めるのは楽しい。


ポール・アルテというのはいま日本で最も有名な作家ではないだろうか。『本格ミステリ・ベスト10』にも毎年ランクインしているらしい。前にも書いたけどフランス語版のwikiでは狭義の推理小説(=本格)とノワールが対比されて定義づけられていたけど、この対比を用いていうならば、アルテは前者の作家に当てはまるということなのだろう。ただ、僕の印象ではアルテの名前はフランスではそれほど有名ではないような気がする。もちろん印象なので確固とした根拠があるわけではないが、たとえば町の比較的大きな書店にいくと、棚でアルテの作品が占めているスペースは本当に小さい。前回紹介したデナンクスが10冊ぐらい並んでいるところにアルテは2冊という感じ。ここら辺は日本のミステリーのファンとの嗜好の違いなのだろうか。フランス語の作品があんまり邦訳されていない理由なのかもしれない。『赤い霧』自体についてはどうやら日本でもかなり有名らしい。この作品は1988年に発表されていて、その年の冒険小説賞を受賞している。この人の作品はほとんどがシャン-ゼリゼという出版社のマスクというシリーズから出ているが、このシリーズをつくったアルベール・ピガスという人が冒険小説賞を設立した。ちなみにこのシリーズはちょっと特徴的だ。例によって推理小説の陰でにこのピガスのインタヴューがあるのでそれを翻訳してみる。非常にラフな訳で。

推理小説のシリーズを監修するにあたって重要なことは、読者を楽しませることであって、邪な考えを起こさせることではありません。「マスク」のすべての作品において、今も昔も、そしてこれからもそのことを心がけています。これらの作品には決して、決して正当化されるような犯罪は現れません。どんなシチュエーションであれ、非行少年であろうが殺し屋であろうが泥棒であろうがどんなものでもかまわないのですが、みな犯罪者は罰せられます。彼らがどんなうまい手を使ったとしても、彼らよりも優れた刑事や探偵が現れて、彼らを捕えてしまうのです。


また、同じサイトのマスクシリーズの説明では、「流血、性的表現は避ける、モラルを保つ、子供を殺してはいけない、近親相姦や同性愛もダメ、つまり普通の殺人のみ」というのが基本的な方針らしい。まあ「普通の」ってなんだとか思うが、要は犯罪の猟奇性とか派手さとかで読者を惹くのではなく、手口の鮮やかさ、そしてそれをめぐる追う者と追われる者との対決で読者を惹きつけるべきだ、と考えているのだろう。この方針のもとではちょっとノワールは出しにくいだろう。事実、ナルスジャックは次のようにいっている。「マスクシリーズはアガサ・クリスティに似ている。このシリーズの大きな功績は、つねに謎を最も重要なものとして捉えてきたということだ」。この方針はノワールシリーズをつくったマルセル・デュアメルとは全く逆らしい。つまり彼は謎を解くタイプの小説よりもノワールに力を入れた。ここでもノワールと本格の対立が利いている。まあ出版社の規模もあるだろうが(多分ノワールシリーズのガリマール社は日本の講談社みたいなものだと思う)やはりノワールの方が優勢のようだ。そういう意味では何も情報がなくても本格ものを探すならこのシリーズからがよいということになると思う。現在出ているこのシリーズはすべて表紙が黄色くてほかのシリーズと区別しやすいので、本屋でいわゆるジャケ買いをするのにはいいと思う。ただ残念なのはざっと見た感じこのシリーズはどちらかというと翻訳ものに力を入れているみたいだ。ネットで検索しても翻訳物が大半で、フランス語オリジナルのものはそれほど多くない。だから逆にいえばアルテのように若くて(1956年生まれ)本格に取り組んでいる作家は珍しくてとりわけ日本で注目されるのだろう。

なんかまた長くなったので続く。