復讐三部作

[film] パク・チャヌク、復讐三部作


ちょっと前のことになるが、パク・チャヌクのいわゆる「復讐三部作」を見た。正確にいうと、すでに三作目の『親切なクムジャさん』を見ていたので残りの二つを見た。何人かで見に行ったので、どれがよかったかという話になるのだが、『クムジャさん』が一番よくなかったという点ではみんなの意見が一致した。他の人の理由はしらないが、こちらの理由ははっきりしている。普通、復讐の物語というと、個人の復讐への動機づけと、外的な法によるその禁止との対立が先鋭化する。端的にいえば相手を殺したいほど憎いが、殺しはいけない、そういったことだ。この対立があるから復讐というのはきわめて悲劇的で英雄的な行為になるはずだ。しかし『クムジャさん』においてはこの対立がないように見える。何で警察の人がこの復讐に協力するんだ? その辺りのことがよくわからなかった。まあ日本語字幕で見ていないからかもしれない。


復讐が悲劇的である理由はもうひとつある。もし復讐の名のもとに人を殺してしまうと、今度はその復讐者が新たな復讐の対象となってしまう。復讐の連鎖から人は逃れることができない。このことを示したのが第一作の『復讐者に憐れみを』だった。主人公が聾啞の青年を殺すとき、「お前はいいやつだからなぜお前のことを殺さないといけないかわかるだろう」と主人公は言うのだが、このことはまさに復讐の連鎖から逃げ去ることの不可能性を示している。いっしょに見に行った人は『オールドボーイ』が一番よかったといっていたが、僕はどちらかというとこの『復讐者に憐れみを』が一番よかったと思う。タイトルからして復讐の悲劇性を期待したのだが、その期待通り悲劇性を扱ってくれたからだ。でも一番の理由は主人公を演じた俳優さんがかっこよかったからだと思う。


オールドボーイ』はもうひとつの復讐における悲劇性を扱っていると思う。それは復讐が完遂されたときの悲劇性だ。あれだけ復讐に時間と金をかけたら、そのあとすることはもうないでしょう、死ぬしか。まあそういう意味では悲劇的かなと。でもこれを見る前に漫画原作を読んでいたので、復讐する理由としてあれはどうかなあと思った。主人公と社長さんがはじめて携帯でコンタクトをとったとき、社長さんが自分のことを「哲学者」とかいってたが、確かに漫画原作のような展開であれば「哲学者」と自称してもいいかもしれないが、映画では別に哲学者でもなんでもないじゃん。まあ復讐の仕方としては見事だなとは思ったが。